nezi-maki soundsystem blog

nezi-maki soundsystem(ねじまきサウンドシステム)というバンドをやっています。そのニュースや所感。

ベートーベン

まず告知です。

ねじまきサウンドシステムの
凛として和やかパーティ
りんなご
5/28(土) 大久保ひかりのうま
開場19:00 開演19:20
¥1,800+1d

出演
ねじまきサウンドシステム
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第一弾の告知です。今回は前回に引き続いて、大久保ひかりのうまで開催。前回、何人かのお客さんからは、イベントの内容もさることながら、大久保駅(総武線の駅。新大久保とちょっと風合いが違います。)の、周辺の温かい飲み屋街、いいねぇ、という声もありました。夕方にちょい飲み、それからひかりのうまで最高な音を浴びる、という楽しみもできます。

ぜひおこしくださーーーーい!!

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さて、最近、ケータイ電話にベートーヴェン交響曲を幾つか取り込んで、移動中に聴いている。

経緯を話すといっきに飛んでしまうが、僕は学生時代に、文系らしくぼんやりした生活をしていた。その頃に先生から丸山真男という政治学者は重要だと教わって、それを覚えて上京した。ようやく新生活に慣れたある日、吉祥寺の本屋で「丸山真男 音楽の対話」という新書を見つけた。あの学者が書いた本かと思いきや、お弟子さんの、中野雄という人が書いた本だ。けれどもなんとなく購入した。

この著者は、日本思想とか政治の専門だった丸山から指導を受けたにしては珍しく、レコード会社に就職したプロデューサーで、一見すると異色の経歴っぽいが、これにもわけがある。丸山真男じしんがオーケストラの楽譜を読んで注を書き加えるくらいのクラシック狂だったのだ。

新書は大まかに、ワーグナーの章と、戦前のフルトベングラーの章で出来ていて、いずれも丸山真男が、戦前戦中の難しい時期に、色んな経緯はあれ、どっぷりと心酔した音楽家だ。

フルトベングラーの章は特に面白い。フルトベングラーは、丸山じしんが陸軍の兵隊として駆り出された第二次世界大戦において、同盟国だったドイツ(あの戦前のドイツ)で、おそらくは沢山の煩悶も抱えながら、それでもドイツに残っていたそうだ。

フルトベングラーは戦時中、一度亡命を試みて当局に脅かされたり、指揮者として、復帰して凄まじい歓迎(観客から「もう私達をおいて行かないでください」と泣き叫ばれたそうだ)を受けたりとしたらしい。ヒトラーから握手を求められて、中途半端に手を上げている写真もあり、握手を求められたが拒んだ、とか、敬礼するところだ、とか諸説あって戦時中のフルトベングラーの評価にも毀誉褒貶あるそうだ。

丸山は、敗戦直前の、いわば極限状態のドイツでのフルトベングラーの録音は、音楽の歴史の頂点だというような評価を与えている。大まかに言うと、とんでもない独裁者の下でも、人々に寄り添った指揮者がいて、彼が指揮した音楽の、緊張感や響きが特異なのだと。

そこで、ここからは卑近な話に戻るけれども、先日、神保町でベートーヴェンの棚の前にいたところ、交響曲のところに「フルトベングラーウォータイムアーカイブス」と書かれたCDを見つけた。戦前のドイツの国営放送が録音した交響曲。先の新書を思い出して、3枚(交響曲4つ〜5つ分)購入したのだ。

それから部屋で聴いて、ノイズは多いが、音のダイナミクス(静かさとやかましさの幅)もあり、何とも言えない臨場感がある、と思い、いろんな移動時間に聴き始めた。ほんの10分の移動時間でも何かしらの交響曲を聞いていた。はじめは、戦前のドイツのおぞましさを感じたが、やがてベートーベンとか、人間とかについて思いを馳せた。

ナチスはこれを悪用(あるいは、この崇高さに酔いつつ、とんでもない歪曲を)したのだろう。このへんの人間の理性がどうとか、西洋がどうとかいう議論ははてしないそうなのでぼんやりした文章にとどめます。

ところで僕は、インターネットについては、無料でニュースも読めるし、一言も発さずに航空券も購入できるので、あの技術にはとても感謝している。のだけど、ある時から何をみても読んでも辛くなる局面が増えた。

携帯電話。タブレット。PC。あのあたりの端末を通じて目に飛び込んでくるものは、大半はきれいじゃないではないか。真っ白なウェブサイトだろうが綺麗なアイコンだろうが、とにかく人間の何かにつけ入るような文章ばかり。

いつからか、人間が貴いものではないのではないかという疑念にまで囚われた。罵ったり、わるふざけしたり、わるふざけを見つけて吊し上げにしたり、わざと吊し上げになってみせて広告収入を稼いだり。有料サロンに連れ込んだり。

そこで、あまりの煩悶を払いのけるために、自分なりに考えたところ、それは考え過ぎではないか、という結論に至った。ある一人の一生だって貴い瞬間も、だめな瞬間もあって、物事は混ざり合っている限りは、貴いもだめも言いっこない。本当は人間は貴くて同時にだめだ。一面をみるとだめなんだ!

という大きな場所にたどり着いた。ベートーヴェンを聴いていると、彼の音楽はある特別な時代と地域の、最も純粋な精神があらわれた音楽だったのだと思う。神だけが貴くて人間はそうでもないという時代から、人間も貴くて、みんなが貴くなっていける、という確信を持ち始めた特別な時代。

うかうかしてはいられない。練習の時に、以下のようなことをバンドの二人に伝えた。「インターネットをみていると人間はどうしようもなく思えるけれど、実はそう一面的にどうのこうの言えるものではなさそうだ。」
すると、「それって、今気づいたの?」。ん?「当ったり前のことじゃないの?」。んん?

ベートーヴェンと人間の貴さについてでした。


【第1弾告知】
ねじまきサウンドシステムの
凛として和やかパーティ
りんなご
5/28(土) 大久保ひかりのうま
開場19:00 開演19:20
¥1,800+1d

出演
ねじまきサウンドシステム
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【動画シリーズ、その最新作】
「冷たい夜を過ごすよ」