読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

nezi-maki soundsystem blog

nezi-maki soundsystem(ねじまきサウンドシステム)というバンドをやっています。そのニュースや所感。

波を眺めることの効用

先に告知をば!

久々にソロ(小山名義)でライブに出させていただきます。マイミクさんお誘い頂きましてありがとうございます。

8/27(土)
『実践報告:J-POPへの取り組み -'16年夏-』@三鷹おんがくのじかん
開場/開演18:30 1,500円(d別)
act:
スカイブルー100
アゼガミ
小山(fromねじまきサウンドシステム)
鈴木美紀子
dj:
マイミク
enema

4ライブ2DJと、見応えたっぷりです。
さらにJPOPに絡めたイベントということで、ご存じの曲も沢山流れるかと思います。私もJPOPカバーします。ぜひご来場をば!

(以下、ブログ)

先日、お盆の休みを利用して一人で銚子へ旅行に行った。これまでに二度訪れたことがあるのだが、前回食べたイワシ料理がまた食べたくなって、とっさに宿を取って出かけたわけだ。一泊二日の日程で、初日の昼には銚子駅に着いた。

旅の目的だったイワシなどの海鮮は、初日にたらふく食べて、2日目は朝から銚子電鉄に乗って犬吠埼まで移動した。灯台には登ったことがあるので、今回は、砂浜で過ごした後に、海辺の日帰り温泉に入ることにした。涼しい日ではあったが、湯上がりに長々と日を浴びるとまた汗をかきそうなので、温泉の前に浜辺に行ったのだ。

f:id:nezi-makisoundsystem:20160817183405j:image

犬吠駅から犬吠埼灯台の方へ歩き、灯台の脇のスロープを下って小さな砂浜に降り、波が来ない程度の距離をおいて、砂の上に座った。右手には灯台が立ち、左手には漁港へ続く長い海岸があり、目の前は太平洋、遠くにタンカーが1隻見える。

周りには家族連れが何組かいて、子供が波から逃げたり、波を追いかけたりしている。銚子の波の勢いは、かなり激しい。泳ぐ人もサーフィンをする人もいなかった。あっという間に沖合いに連れて行かれそうだから、恐らく禁止されていたのだと思う。左右の耳がザー、ゴーという音にさらされていた。

f:id:nezi-makisoundsystem:20160817181235j:image

座って、何はともあれ缶ビールを飲んだ。ぬれせんべいも食べていた。当初は、何かいいアイデアが浮かばないかな、とか、何か元気になる瞬間が訪れたりしないかな、という期待があった。

このところ、バンドで録音をしては動画を作ってきて、そろそろ区切りが付く。次はどんなことをすべきなのか。考えが浮かばないだろうか。ちゃんとした日本語で言うと、「海パワーで天啓を得たい」のだ。ところが、波を眺めていても、ひらめきとかアイデアとかいうものは一切なかった。

波は視覚的にも聴覚的にも、嗅覚的にも、生き物のようなところがある。呼吸のように、一定の間隔で押し寄せては引いていく。引く波には砂が取り込まれて渦を巻く。遠くから見る分には穏やかだが、真正面にくると恐ろしい。匂いだってする。たまに人命を奪うところも生き物に似ている。

波は、月を衛星に持ち、自転や公転をする天体が抱える水の動きでしかない。物理に支配されていて、つまり人間がやりとりできる相手ではない。「少し音量を下げてほしい」とか「もう人をさらわないでほしい」とか。全くコミュニケーションを取れない存在でありながら、生き物のようにも見える。そのせいなのか、人間の側では黙って考えを巡らすような時間が続く。

海が母に喩えられるのはなぜか。語り合えるようでいて決して子にペースを乱されないところが、強き母に似ているのだろうか。人が失恋をすると海に来るのはなぜか。波には人間の営みが介在しないからだろうか。たけしが岸本加世子と並んで座った海はどこだったろうか。

そうしてしばらく眺めていると、段々と考えていることがどうでもよくなってくる。波が来るたびに脳内が「ザー」「ゴー」と浸食されていく。やがて普段考えていたことも、どうでもよくなっていった。

今回、思ったことは、そもそも海というのは新しい考えを得るために来る場所ではない、ということだ。考えを深めることにもそぐわない。新しいものを加える必要がないのだ。

その反面、考えていたことを取り除くのには向いている。重要なことから些細なことまでひっくるめて、頭から削り取られていくような感覚が生まれる。砂のように頭から運び出されていく。その時間も飽きが来ない。

そして恐らく、頭から考えを取り除いていく機会というのは、日常では簡単にやってこない。酒を飲んで忘れるということもあるが、お酒を飲んでも、こう、考えていたことがどうでもよくなったりはしない。

人間には用意しきれないほどの水が音を立てて、こちら押し寄せてきてはズザーと返すという変な機会が、それを可能にするのではと思う。人それぞれなので、物事をどうでもよくさせるために、ある人は絵を見たり、またある人は盆栽をちょん切ったりするのだと思う。

それに関連しているか分からないが、家の外壁にペンキを塗るには、今あるペンキを削ぎ落とさないといけないらしい。鋼材に塗装する前は、硬い球状の金属を無数にぶつけて不純物を削り取るそうだ。

東京に帰った夜、寝転がってネットを見ていたら、みるみるうちに、どうでもいいものが頭に塗られていくのを感じた。これはこれで安心感があった。

(終)

今年は海っぽい曲を2つ拵えました。